四代目:山方国利

4代:山方國利 山方氏

山方国利(やまがたくにとし、介五郎)は、山方氏四代の当主です。
父は山方氏三代の山方俊治、弟に山方氏五代の山方定利がいます。
生年は文明14年(1482年)、没年は永正7年(1510年)6月、享年29。
常陸の佐竹氏に仕える家臣として、越後国での合戦「長森原の戦い」に参陣し、関東管領・上杉顕定とともに討死しました。

 

歴史的背景

15世紀末から16世紀初頭にかけての越後国(現在の新潟県)では、守護代(守護の代理として実務を担う職)・長尾為景が主君の越後守護・上杉房能を自害に追い込み、房能の養子を新たな守護に擁立するという政変が起きました。
房能の兄で関東管領(鎌倉公方を補佐する室町幕府の関東統治職)を務めていた上杉顕定はこれに激怒し、永正6年(1509年)、大軍を率いて越後へ侵攻します。当初は関東方が優勢でしたが、為景が反攻に転じたことで戦局は一進一退となりました。

常陸国(現在の茨城県)を本拠とする佐竹氏は、この越後内乱にあたって関東管領方への援軍を送っており、佐竹氏の譜代の重臣であった山方氏もこれに従軍する立場にありました。
国利の父・山方俊治は、かつて主君・佐竹義舜が山入氏に追われて金砂山に籠城した際に最後まで従い、逆転勝利に貢献した功臣であり、山方氏は佐竹氏から厚い信頼を得ていた家柄でした。国利もその一族の当主として、佐竹氏の対外的な軍事行動に動員される立場にあったとみられます。

 

主な出来事

  • 文明14年(1482年):誕生(山方俊治の子として)
  • 永正7年(1510年)6月20日:越後国長森原の戦いに、佐竹の兵を率いて参陣。関東管領・上杉顕定に従い戦うが、為景方の追撃を受けて総崩れとなり、顕定とともに討死(享年29。没日を6月27日と伝える史料もある)

年代不明

  • 弟に山方氏五代の山方定利がいる

 

参考図書・資料

  • 山方御城と山方氏パンフレット(常陸大宮市振興財団)
  • 山方町の歴史散歩 第三号(山方郷土史クラブ、金子一夫)
  • 山方豊『我が家の昔』第四章「常陸に於ける山方氏」
  • 山方宗家系図(『新編常陸国誌』・家譜研究に基づく史料)