山方定利(やまがたさだとし、介六郎・右馬助・能登守)は、山方氏五代の当主です。
父は山方氏三代の山方俊治、兄に山方氏四代の山方国利がいます。
生年は不詳、没年は天文20年(1551年)、享年96と伝わります。
常陸国(現在の茨城県)を本拠とする佐竹氏の重臣の家に生まれ、兄・国利の戦死ののちに家督を継いだとみられます。
歴史的背景
永正7年(1510年)6月、越後国(現在の新潟県)の長森原で、関東管領(鎌倉公方を補佐する室町幕府の関東統治職)・上杉顕定と、越後守護代(守護の代理として実務を担う職)・長尾為景の軍勢が激突しました(長森原の戦い)。
顕定はこの戦いに敗れて討死し、常陸国の佐竹氏に従って参陣していた山方氏四代・山方国利もこれに従い戦死しています。
山方定利は国利の弟にあたり、兄の急死という事態のなかで山方氏の家督を継いだとみられます。
山方氏は、佐竹氏の宗家継嗣問題(応永14年/1407年)を契機に美濃国から常陸国へ下向し、以後は佐竹氏の重臣として仕えた一族です。
父・山方俊治は、主君・佐竹義舜が庶流の山入氏に追われて金砂山に籠城した際、最後まで従い逆転勝利に貢献した功臣でした。
定利が家督を継いだ16世紀前半は、佐竹氏の内紛「佐竹の乱」(山入氏との長期抗争)が収束したのちの時期にあたり、佐竹氏が常陸北部での支配権を固めていく過程にありました。山方氏は代々、この佐竹氏を軍事・政治の両面で支える重臣の家柄でした。
主な出来事
- 天文20年(1551年):死去。享年96
年代不明
- 山方氏三代・山方俊治の子として誕生。兄に山方氏四代・山方国利がいる
- 兄・国利が越後・長森原の戦い(永正7年/1510年)で討死したのち、山方氏五代の家督を継いだとみられる
- 娘の一人が、佐竹氏の宿老・小野崎氏に嫁いだ(一説には娘は小瀬氏に嫁いだとも伝わる)
参考図書・資料
- 『山方町の歴史散歩』第三号(山方郷土史クラブ、金子一夫)
- 山方豊『我が家の昔』第四章「常陸に於ける山方氏」
- 「山方御城と山方氏」パンフレット(常陸大宮市振興財団)
- 「山方宗家系図」(池田家提供の新史料、『新編常陸国誌』・家譜研究に基づく)

