山方重泰(やまがたしげやす、助八郎、能登守)は、山方氏七代の当主です。
父は山方氏六代の山方篤定。
生没年は不詳ですが、慶長7年(1602年)の佐竹氏秋田転封に従い、元和元年(1615年)の大坂夏の陣で戦功を挙げました。
この戦功への褒美として賜った軍扇の紋が、山方家代々の家紋「扇骨紋」の由来となっています。
歴史的背景
慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦いで中立を保った佐竹義宣は、2年後の慶長7年(1602年)、常陸54万5,800石から出羽久保田(秋田)20万5,800石への大幅な減封のうえ、国替えを命じられました。
佐竹の重臣であった山方氏も一族を挙げてこれに従い、常陸から秋田へ移住しています。山方重泰はこの転封に従った世代にあたります。
慶長19年(1614年)から翌20年(1615年)にかけて、徳川家康は大坂城に拠る豊臣秀頼を攻め滅ぼしました(大坂の陣)。これにより徳川氏による全国支配が確立し、以後260年余り続く江戸幕府の体制的な基盤が固まりました。
秋田に移った諸大名も、この戦いに軍役として参陣しています。
主な出来事
- 慶長7年(1602年):佐竹氏の秋田転封に従い、常陸から出羽国秋田へ移る
- 元和元年(1615年):大坂夏の陣に出陣し、戦功を挙げる。主君から「地紙(扇面)と骨のどちらを望むか」と問われ「骨を頂戴仕る」と答え、佐竹家の紋所「五本骨に日の丸」の軍扇のうち骨を賜った。のちに「勿体ない」として「十本骨」に改められ、山方家代々の定紋となった
年代不明
- 山方氏七代の当主。父は山方氏六代・山方篤定
参考図書・資料
- 山方豊『我が家の昔』第七章「家紋と家風」
- 『山方町の歴史散歩』第三号・第四号(山方郷土史クラブ、金子一夫)
- Wikipedia「佐竹義宣 (右京大夫)」(要約) — 秋田転封の経緯を確認するために参照

