山方御城(やまがたみじょう)は、常陸国久慈郡山方(現在の茨城県常陸大宮市山方)にあった中世の山城。応永15年(1408年)、佐竹氏の重臣となった山方能登守盛利が居城として以来、慶長7年(1602年)の佐竹氏秋田転封までのおよそ200年間、山方氏歴代の本拠でした。城跡は川を望む舌状台地の上にあり、西に高館山、南に皆沢川を控えた要害の地。現在は主郭部分に展望台が復元され、山方氏ゆかりの史料を展示する資料館としても公開されています。
歴史的背景
山方氏の出自は、藤原鎌足を祖とする藤原氏の一支流にさかのぼります。この支流の末裔・上杉重房が丹波国何鹿郡上杉庄を領して「上杉」を称し足利将軍家に仕えたことで勢力を広げ、関東管領家となりました。その一族の山方憲利が美濃国山方郡(現在の岐阜県山県市)を領し、地名にちなんで「山方」を称したのが山方氏の始まり。
憲利の子・山方盛利は、鎌倉で争いに巻き込まれたのち、同族の上杉憲定を頼って武蔵国に身を寄せていました。ちょうどそのころ、常陸国の太田佐竹氏に跡継ぎがなく、上杉憲定の子・義憲(のち佐竹義人)が養子として佐竹家を継ぐことになります。盛利は義憲の傅役・後見人としてこれに供奉して常陸国太田へ下り、佐竹氏の重臣に加えられて山方御城の館主に。以後、盛利を初代として代々「能登守」を称し、佐竹氏に忠勤を尽くす家柄となっていきます。
事のあらまし
城郭の構造
- 東端の主郭「御城」を中心に、西へ「中ノ城」「外城」と連なる三郭構成で、郭の間には空濠の跡が現在も残る
- 西方にそびえる高館山は、本城が落ちた際に立てこもる詰めの城で、濠や土塁で区切った郭を直線状に連ねる連郭式の遺構が確認できる
- 城内には、戦に備えて植えられたとみられる矢竹(ヤジノ)が群生している
- 御城の南麓は「根小屋」の字名で呼ばれ、家臣の居住区であったとみられる
- 皆沢川に架かる「嘆願橋」は、御城への立ち入りを許されなかった庶民がこの橋で嘆願を行ったと伝わる場所
現在では、やぐら部分が展望台及び資料館として残っており、その中には山方氏に関連する資料が陳列されています。(特別に撮影の許可をいただいて撮影しました。)
歴代当主の事跡
- 三代・山方俊治は文明18年(1486年)、佐竹の名代として相模国の須賀谷原の合戦に出陣し、足利政氏から戦功を賞せられた
- 四代・山方国利は永正7年(1510年)、佐竹の兵を率いて越後の長森原で長尾為景と戦い、上杉顕定とともに討死した
- 六代・山方篤定は「佐竹の智恵袋」と称され、佐竹義宣に南方三十三館の謀殺を献策した
- 七代・山方重泰は元和元年(1615年)、大坂夏の陣での戦功により、佐竹家の軍扇紋を分与された(この由来は山方家の定紋「扇十本骨」につながる)
太田三十三館誘殺と山方御城
六代・篤定の献策による太田三十三館の謀殺は、当時鹿島・行方地方に散在していた城砦三十三館の城主たちを、知行割りを行うという名目で太田城に集めて一挙に討ち取る計画でした。天正19年(1591年)2月9日、佐竹義重・義宣父子はこの計画を実行に移し、城内で領主たちを謀殺します。これがおおむね成功したことで、南方の諸城砦は一時に姿を消し、佐竹氏の版図は大きく拡大。のちに六大名の一角に数えられる大々名へと成長する足がかりとなります。このとき篤定自身も三十三館の一人・鹿島清房を捕らえて山方御城へ連れ帰り、御城において殺害したと伝わります。その供養のために建てられた五輪塔は、道路改良工事に伴い元の場所からの移設を経て、現在も常安寺の入口にある一基。
廃城とその後
山方御城には、山方氏のあと佐竹氏15代当主・佐竹義治の第5子・東政義が居城したとの記録も残りますが、東氏はほどなく常陸太田市の小里へ移ったと伝わります。一説には、この東氏在城の時期がちょうど山方氏の代替わりの端境期にあたっていた可能性も考えられますが、詳しい時期は史料からは特定できません。
慶長7年(1602年)、佐竹氏の秋田転封に伴い山方氏も一族を挙げて秋田へ移り、入れ替わりに水戸徳川氏が入封すると同時に山方御城は廃城となりました。城跡は長らく春の桜、秋の紅葉に彩られる叢となっていましたが、昭和61年(1986年)、国道118号バイパス工事に伴う発掘調査で、古銭や中世の灰釉陶器片、かわらけ数点、墨書(経文とみられる)を施した石などが出土。これらの出土品は、山方氏子孫から寄贈された史料とあわせて、現在も御城展望台内の展示室で公開されています。
山方御城への行き方
| 営業時間 | 9:00~16:00 |
| 入館料 | 大人:100円、小人:50円 |
| 定休日 | 月曜日(祝祭日の場合は翌日休) |
| 電話番号 | 0295-57-6020 |
| 所在地 | 茨城県常陸大宮市山方313 |
| 駐車場 | 有(数台) |
| アクセス | 常磐自動車道「那珂I.C」より国道118号経由約40分 JR東日本水郡線「山方宿」より車で約3分、徒歩17分 |
山方御城の名を持った地酒『御城』
久慈の山 根本酒造株式会社で、大吟醸『御城』という名の地酒が作られています。
史実によると、根本家は常陸国大名であった佐竹氏の家老であった山方氏の家老職を務めていたとあり、関ケ原の合戦以降、佐竹氏が秋田に国替えとなった時にそのまま地元にとどまり、慶長八年(1603年)に酒造業を始めたとの事。
酒名『御城』創業者が士官した城にちなんで命名していただいたとのことは、山方氏の子孫としてはとても嬉しく思います。
参考図書・資料
- 「山方城 – 常陸大宮市ふるさと文化で人と地域を元気にする事業」(広報常陸大宮 平成17年5月号「ふるさと見て歩き1」) — 立地・城郭構成・根小屋と嘆願橋の伝承・昭和61年発掘調査の出土品を記載
- 山方御城パンフレット(常陸大宮市振興財団、山方御城展望台配布資料) — 山方氏の由来、歴代当主の事跡、太田三十三館誘殺、秋田転封と廃城の経緯を記載
- 山方豊『我が家の昔』第七章「家紋と家風」(大正14年/1925年執筆) — 家紋の由来を記載


